スクラッチノイズ
ただ、製品自体は、特に本稿とは関係ないので詳細は今回は省略。(またいつか)
でもって、そんなこと(購入)があったので、同居人の許可を得てひさしぶりにいろんなソースをイヤホンではなく、スピーカーを通して空気を震わせて聴いてみた。
スピーカーで聴くと、イヤホンとはかなり違った「音」の印象の発見がある。
そして今回、いちばん発見があったのが、スクラッチノイズ。
(なお、このとき聴いていた音ネタは、坂本龍一"undercooled")
スクラッチノイズなんて、なんの新味もない。いわゆる"ふつうの"サウンドだ、かなり前にもうそうなってる。そこら中の音源に入ってる、そこら中のレコードに入ってる、簡単に手に入る、簡単に使える。つまり誰でも使える。すでに使い古されたくらいに使いたおされていて、かなりセンスがないと今やかっこう悪いくらいの音色。
でも、このスクラッチノイズが、BOSE M3から流れたとたん、意識が変わった。
スクラッチノイズ以外の音色は、アコースティックな楽器やシンセサイザーによる合成音も含めて、なんらかの「音(の発生)源」を、耳が想定してしまう。つまり、暗黙のうちに、前提として、耳が「なにかが目の前のそのあたりで、音を鳴らしているんだな」的に受容してしまう。
しかし、スクラッチノイズだけは異質な音がした。
M3のふたつのスピーカーの間、その空間、なにもない、"そこ"から、「眼前のそこの空気の間に、なにもなく、ただノイズ(サウンド)が突然発生しかつ漂っている」という感覚がした。
純音楽、という言葉があるが、この場合、純音響=純粋な音、としての実体感があった。音がオブジェクトになっている。
オーケストラを聴きにいくと、いつもその音の実体感に感覚が研ぎすまされる思いがする。
バイオリンやオーボエが、弦のこすれや管の震え、そこにエネルギーを注ぎ込む人間の活動だけから音を創りだす様に。そう、アコースティックな楽器というのはすごいのだ。ホールの無音の状態から、いきなり音が立ち上る香気。電気楽器とは趣がまるで違う。
でも、ノイズは、音(の発生)源がなくても、そこに現出する。
音響系と呼ばれる音楽の潮流が、ノイズを重要な要素として利用したのには、ノイズが「無から生じた純粋な音響である」ことを聴き手に意識させるからなのだろうか。
その「音響の純粋性」が、ノイズとともに、他の合成音や自然音等も結局は同じことなんだよ、と汎化して提示する力を持つによって、すべての「音(色)」を純粋な音響として脱構築し、新たに受容し直すための強力なツール・手だてになっていたのではないのか。
(文責: spoonik)
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