大震災標識の近未来

東京を歩いていて、写真のような標識に気づいた人はいるだろうか?
私は、渋谷を歩いていてそれを見つけたのだった。多分、東京中に同じような標識が何十本も立っているのに、それに気づかずに今まで通り過ぎてきたのだろう。
他の都市圏にこのような標識があるのかどうかはよく知らないのだが、やはり「大震災」という言葉は、関東の特権と永らく考えられてきたフシが、この標識の特殊性からは感じられる。もちろん今では、それは関東に限定されないことが不幸にも実証されているわけであるけれど。
この看板を見ながら、今歩いているこの大都市の幹線道路が、車両通行止めとなって、混乱した人ごみにまみれるのを想像してみる。
大災害や大戦争で廃墟になった都市の姿に、未来を重ね合わせるようになって、きっと長いことたつのだろう、それは私が子供の頃から、コミックや映画の世界では、SFのテーマとして頻繁に描かれていた姿だ。
例えば、「AKIRA」にでてくる廃墟は緻密に描かれていて、リアルに現在の生活から通じた未来の姿を感じさせた。「北斗の拳」では、世界の秩序は完全に失われ、生活の質自体は古い過去のレベルに退化しているにもかかわらず、明らかに"未来"の姿として眼に焼き付いている。
これらの"未来"は、核戦争後の世界を描いているものの、私には、明らかに大震災後に予想できる都市の風景と重ね合わせて感じられる。
大地震は、過去何千年も、何度も繰り返し起こっている。ただし、それにより壊滅的な打撃をうけるような質のものに変質したのは、高度な都市社会が形成されてからではないかと想像する。
こうして繰り返し起こる物事は、実際に体験した人がいなくなったときに"未来"になるのだろうか。
長い周期で発生する災害は、そのようにして、何度も"未来"と"過去"をいれかわりながら繰り返されてきたのだろうか。
なぜか東京だけが大震災の土地だと信じられていた背景には、このような社会や都市の成り立ちの変化、特に、歴史的なタイミングを含めて考えられていなかったことがあるような気がする。
(文責: spoonik)
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この標識、私は国道 246 号沿いで良く見ます。標識自体は見慣れてしまって、普段あまり気にしていないけど、もし大震災が起こってしまったらと考えると本当に恐ろしいです。心配しても仕方のなことだけど、車両が通行止めになって、そこにどんな景色が広がるのでしょうね。
投稿: 現代音協楽 | 2006.04.23 13:19